鏡に映る自分を見るように

ジャニーズが日本のカウンターカルチャーとして存在することに興味がある大人

映画 ピンクとグレー 感想

原作と映画の違い

衝撃だった。いい意味で、原作をアレンジしていて、きちんと「ピンクとグレー」だった。62分の衝撃も、原作を読んでいれば、「あ、なるほど」と思う展開。モノクロの撮影も、監督が『閃光スクランブル』を読んでいたからだろうなと思う切り取り方で、もう1回見たい!もう1回読みたい!と思わせるのは流石だなって思った。

一番感動したのは、加藤シゲアキが遠景に遠のいたこと。原作にあった、シゲアキのリアルな心の動きが、あまり取り上げなかったということ、菅田将暉演じる河田大貴を少しIQを下げた(行定監督曰く)ということにあるのかなと思います(あと、夏帆の設定。オリジナルでゲスい。岸井ゆきのも普通にしたところが素晴らしい)。小説ピンクとグレーは加藤シゲアキが投影されているから故に「清廉潔白」な部分があるし、菅田将暉演じる河田大貴よりももっと努力をしている。それでも自意識が邪魔をするところがあるという話だったのに、映画ピンクとグレーはもっとゲスい。がんばれないから、暴力に至ってしまうという、うまいバランスだなと思いました。でも、きっと、それは映画だから。映画は大衆性がないと多くの人に見てもらえないし、大衆性があるからこそ、広い共感を呼ぶことができる。

加藤シゲアキの小説のIQを下げてほしいということではなくて、その部分は保ってほしい。そうでないと、きっと、小説が輝かないと思う。小説では、ギリギリのところを攻めているから、いいのだと思う。

青春映画として

加藤シゲアキが遠景に遠のいたからこそ、小説ピンクとグレーがもつ文学性が切り取られたのではないかということが、映画を見て面白かったところでした。私が、原作を読んで面白いなと思っていたのが、「欠落を追いかける人たち」という構図。当時の感想にこう書いていました。

面白かったのが、「欠落」を追い求める力。
鈴木は姉の死に隠された謎をたどるために表現をする。
そして、河田は鈴木の死に隠された謎をたどるために表現をする。
人間には、このわからないという「欠落」が原動力となりうるし
他人から見たときの魅力につながっていくのだなぁと。
意図してこういう構成になったのか、どうなのかはわからないけれど
努力をすれば結果が出るわけではないという世の中の不条理が
こういうところで表現されているのが面白かったです。

今回の映画化で、その部分が切り取られていて、若者が大人になる瞬間という部分がクローズアップされていて、本当に面白かった。最後にラスボス柳楽優弥が「結局分からなかった」というところが、少し年代が上の行定勲監督からのメッセージなんだろうなと感じました。だからこその、青春映画。芸能界の映画ではなくて、青春映画なんだろうなと思います。

中島裕翔の伸びしろ

役名が、発表の時は中島裕翔は河田大貴だったのに、なんで白木蓮吾になってるんだ?と思っていたけれど、あーーーーーなるほど!という62分の衝撃、この2面性を本当に良く演じきったなって思う。特に62分後の中島裕翔が良かった。俳優としてのびて行くんだろうなって本当に思う。菅田将暉に食われるんじゃないかと心配していたのだけれど、大丈夫だった。ピンクとグレーの主役を演じられるのは、中島裕翔しかいなかったんだと思う。ジュニアの時は、絶頂だったのに、その後に挫折を知り、努力を重ねることで自分の仕事を増やしているところが、シゲアキに通じる部分が多い。だから62分後に演じられるのだと思う。コレから仕事が増えてほしいと思います。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの主題歌「Right Now

主題歌をアイドルがうたうのではなくて、アジカンを起用したのは、映画を見てなるほどなって思いました。エンドロールのあの疾走感はNEWSもJUMPも無理だっただろうなと思うし、あの男らしさが表現できないところが、アイドルの弱みですね。アジカンの曲が良すぎて、映画後にシングルを買いました。そして、MVが行定勲監督で、夏帆が出演しているのだけれど、その夏帆が62分後の夏帆ということと、あの、ブラックライトの演出が入っていたり、お姉さんを彷彿させる場面とか(ショートバージョンでは分かりません!)、映画を見た人が二度美味しい作りになっています。歌詞とのピンクとグレーのリンクも絶妙だし、クリエーター同士の分かり合う部分で作っているんだなと感じてゾクゾクしました。MVには、アジカンのゴッチも登場するのだけれど最後の微笑みは若者へのはなむけに近いものを感じました。行定監督の気持ちの代弁なのかなってちょっと思ったり。

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ようやく実ったシゲアキの努力

思えば遠くに来たものだと思う。小説を書いて、映画化されて、いろいろなクリエーターが動いてくれる、この現状は、シゲアキが小説を書かなければ始まらなかったこと。無から有を生み出すというしんどいことをやったから動いているのであって、シゲアキが望んだ未来だと思う。未来を引き寄せる力は、この無から有を生み出す力を養うことと同意だと思っている。1つ上に行きたいと思い、それを実現したシゲアキが止まらないことが本当にうれしい。人って変われるんだという希望を感じる。

中島裕翔の62分後の演技は、生まれもった容姿や声などの才能だけで人気が出る訳ではなく、その人の中にある意思がその人を作るってことなんだということを可視化したんだなと感じた。小説を書く前の成亮と、書いてからのシゲアキの違いとよくにてる。思えば遠くに来たものだけれど、きっとまだ遠くに行きたいとシゲアキは望んでいるのだと信じている。これから、どこまでいくのか、楽しみです。

田口脱退と説明責任

ベストアーチスト2015が放送された夜、twitterのtime lineには「田口」の文字が並んだ。よもや想像もできなかった脱退宣言と退所宣言が生放送で繰り広げられたからだ。
退所の理由は語らずに、辞めると宣言した行為には多くの人から非難されることとなった。「理由は?」「説明する責任がある」というものがほとんどで、KATーTUNのメンバーからもマスコミからもファンからも説明が求められている。

マスコミに対しての説明は必要はないと言えよう。彼らを満足させる必要なんてどこにもないからだ。問題はメンバーとファンだ。
メンバーは仕事仲間であり、その利益が損なわれるという意味において説明してほしいと願うのは当然だろう。しかし、我々、一般人が仕事を辞めるときにプライベートを事細かく説明するだろうか。本当のことを隠して辞めることは社会的に許されている。誠実だから説明するのか?? いや、違うだろう。説明できない気持ちを抱えたまま辞めることだってある。どれだけ一緒に仕事をしたいと周りが望んでも、本人の気持ちがついていかないこともある。アイドルだって仕事の一つだ。アイドルを辞めたいと願うことはそんなに特殊な事例でもないだろうし、辞めたいと思う気持ちに私は共感する部分がある。なぜ今?という問いに、田口は30になるからと答えている。この30歳になるからという時期も納得の一つである。もし、仕事を辞めて違う仕事の世界で生きるなら、30からなら取り組んでも遅くはない。10代の時にはアイドルになることが全てだったとしても、30歳に近づけば他の選択肢があることを知る。今ならと思ったとしても、不思議ではない。
「なぜ、アイドルを辞めるのか」ということへの説明はかなり難しいだろうと思う。アイドルを魅力的に感じている人たちへの侮辱になりかねない。メンバーやファンに説明できないのはこの点なのではないかと推測される。
魅力的に思っていても、辞めなければならない理由があるのか、魅力的に思えなくなったから辞めたくなったのか。この違いは大きいが、ファンもメンバーも無意識に前者を想定しているように思う。しかし、実際は後者ではないか??田口の優しさから決定的なことを言わないでいるように見える。大切な人たちであるメンバーやファンを傷付けないためにも喋れない。そんな風に見えるのだ。

アイドルとして生きることが肯定的に受け止められるようになったのはここ20年のことであって、そのきっかけとなったのは間違いなくSMAPだろう。光GENJIまでは典型的な王子様であったが、SMAPからは隣のにいちゃんポジションとなり、トイレも行けば恋愛もする、コントもする人になった。今も加藤シゲアキがらじらーで「お尻に割れ目がない」と言ったりするのはアイドルが偶像だった頃を揶揄しているからであって、本人はもちろん本当にそうだとは思っていないし、リスナーも思っていない。しかし、その言葉が本気に信じられていたのがかつてのアイドルであり、だからこそアイドルは低年齢層のものであって、30歳になってまでアイドルでいることは考えられなかった。
SMAP以降は等身大となり、アイドルが多くの人に寄り添う存在となっていく。俳優や歌手であれば、作品が良ければそれで納得するだろう。アイドルはそれだけでなく、人間性が重視され、生き方が問われ、絶えず人目にさらされることとなる。「共に生きる存在」だから、みんなから応援され、愛され、期待され、関心が持たれる。この行為が心地よいとおもう人もいれば、苦痛な人もいるだろう。アイドルは愛されている実感が持てるかもしれないけど、嬉しいことだけではなくて、マスコミに追いかけ回され、付き合っている女についてヤイヤイ言われて、プライベートを批判される。私だったら???多分耐えられないと思う。それだけ個人がさらされることはストレスフルなことであるし、アイドルで得られる喜びと対価かという判断は、人によってまちまちであって絶対的な基準はない。プライベートがさらけ出せる人か、どうか、人からの攻撃的な視線に耐えられる人かどうか、その人の生育歴が関わってくるだろうし、一面的に語ることは許されない。
一生アイドルが今日のスタンダードとなっている今、アイドルを降りる選択肢もあっていいのではないかと思ってる。降りられない片道切符なら、デビューが監獄みたいではないか!! ジャニーズ事務所を辞めるということはアイドルを辞めるということなのだと思う。

ファンとアイドルの関係はビジネスな関係だけではないのだと思う。ファンは「君の未来に幸あれ」と願うものだと思う(少なくとも私はそうだ)。だからこそ、ファンはのめり込み、アイドルに夢を託す。君の未来を願うことを許してもらえる存在。それがアイドルなのかなと思う。
説明責任って、買い手と売り手の関係で言われることだし、行政でのサービスで言われること。それと同じ様な論調でファンが迫るのはどうなのかなって思う。愛ってギブアンドテイクではなくて無償であって…というフレーズは言い古されたものであるけれど、愛する対象でいてくれることはサービスではない「何か」があるのだと思ってる。

田口担ではないから言えることと言われればそれまでかもしれないけれど、いつ自分の担当が辞めるかもしれない、そういう部分は同じだと思ってる。

Very Very HappyによるJUMPの特徴

各グループによって聞きたいタイミングが違う

今更ではあるがJUMPing CARを聞いている。
JUMPの歌は好きである。透明感が高くて、ちょっと元気が欲しいなって時に聞くには非常に心地よい。一時期の嵐のようであるが、嵐はもう少し屈折しているため、とてつもなく落ち込んだ時に聞くのが心地よい。ジャニーズWESTは能天気に行きたい時にはいい。加速度を増したい時。JUMPはもっと平常時でいいというか、アドレナリンは出さなくってもいいんだよという安定ソングな位置づけにいる(あくまでも個人的な見解です)。

JUMPing CARで一番気になった曲

JUMPing CARで一番惹かれたのは表題のVery Very Happyです。おお!なんか大人になった??JUMP!!!って思いました。
まず「切ない」。切ないといえば、前作のsmartの「切なさ、ひきかえに」ですが、今回のVery Very Happyは、それも次の段階にあるように思いました。恋する切なさから共にいる切なさという時間の経過を感じました。JUMPの曲に恋愛の要素は薄いなぁと思っていたのですが、あるとしても恋をする気持ちとか駆け引きとか、別れて辛いとか、学生気分だなっていうのが多かったと思います。それがここに来て同棲ソングというか共に生きる系を歌うようになったんだという驚きがありました。これはウェディングソングにも使えると思います。おお!ついにJUMPも結婚する年齢になったのねと思ったのですが、よく歌詞を聞くと通常のウエディングソングとは違う要素が見えてきて、今時じゃないか!!そしてそのイマドキ男子ソングをJUMPが歌うことがハマってる!と感動したのです。

Very Very Happyに見る男女間の距離

手を伸ばしてみれば君の手に触れるくらい すぐ側で歩いてる 未来地図 君と開く 大好きな時間
ここは、共に歩くって意味ですよね。密着してないところがイマドキかもしれませんが。ちなみに山田くんパート。山田くんのシャイさと相まっていますね。
うまくいかなくて立ち止まるときは 無理に空を見上げなくていいから
ここです!!無理に空を見上げているのは女性で、女性が頑張って前に進もうとしているのが前提なわけです。その女性に対して、肩の力抜いてよと語りかけるJUMPくん(有岡)。
僕の手を離さないで
ここも女性に主導権があります。手を離すかどうかは女性の自由で、伊野尾くんが離さないで…って訴えてくるわけです。
君を連れてく
この系の言葉は恋愛系の歌詞では良くあるけど、ようやく男性の意思が出てくるわけですよ。それも控え目に。かわいいフェイスで自由人の知念くんに言わせるのは心憎いところです。
You are my special とっておきの この夢をこの時を分かち合おう
終わらないWith you そうWith you ずっと口ずさんでいこう 同じ歌
Very Very happy my days
サビは全員で、ここが切ないところなのですが、「この時を分かち合おう」なんですよね。ここにグッときました。引っ張っていかないんです。共にいて、分かち合いが愛の形なんですよ。おお!!これが今の愛の形なんだって感慨深かった。
一人で歩いたらすぐ着く距離を 二人ゆっくりと歩いてく
晴れの日も雨の日でも 一緒がいいから
ここは裕翔くん。山田くんのパートと通じるものがありますよね。彼も寄り添い系ですもんね。急がせない。ゆっくりです。このスピード感も男性性の象徴のはずだったのに…
うまく笑えずに涙こぼすとき
ここは女性の気持ちを歌うパート。かなり強気な女性ですよね。薮くん担当。
無理に言葉探さなくていいから
ここも女性への気遣いです。無理しろ!男並みに働け!!と無理強いさせてきた男が歌うって素晴らしい。八乙女くんのパートです。
大切なのは僕の隣 
隣っていうのが、同等を示しています。ここのパートはスマートな優男、岡本圭人。俺じゃなくて僕というのもポイント。
君がいること
素晴らしい!存在の受け入れ!!!この一言に尽きる!!!!高木くんいいね!!
You are my special とっておきの 未来へと希望へと手を伸ばそう
繋ごうWith you そうWith you そっと数えながらいこう その笑顔
ここは全員パートで「未来へと希望へと手を伸ばそう」で繋ぐんですよ。君と共に。つなぐっていうことで、あくまでも引っ張らない。共にいることが全てになんですよね。
僕らのストーリー ページをめくろう
日だまりが揺れて この街を彩る
ここで、未来の生活感が出てます。共に生活している日常(読み込みすぎかな)。
最高な場所へ 君と 君とJUMP!!
これは最後フレーズですが、共に飛んで上昇していく気持ちで締められています。JUMPと自分たちのグループ名が入ってるのが良いですよね。JUMPらしい歌だ!って思ってもらえればいいな。

ウエディングソングの変化

ジャニーズのウエディングソングといえばSMAPライオンハートだと思うのですが、時代が変わったんだなぁって感慨深かった。時代はライオンハートではないわけです。僕が守らなくても、失ったものをうめてあげなくても、呆れるくらい側にいなくてもいい。距離感を保って、共に手をつないで、JUMPをするという関係性に変わっている。
あとは嵐のONE LOVEがありますが、あれも「幸せにするよ」ですからね。まだちょっと男性主体ですよね。

Hey!Say!JUMPの今後の方向性

今はまだ、キラキラ光れとかアイドル全開で歌ってますが、このVery Very Happyの世界観でグループの個性を出していくのは有りだと思う。しかし、この方向性ってアイドル性と相入れるのか??というところが心配である。 だって、俺様要素ってアイドルの鉄板じゃない??って思うわけです。嵐がどんなに植物的でも、松本潤というSな人がいて成り立っている部分は多分にある。そして、羊の皮を被った肉食系の櫻井翔がいる。JUMPはそういう肉食系の要素が薄いんだろうなって思う。誤解を恐れず言うなれば、全員が二宮相葉大野であるという、恐ろしさを秘めている。でも、きっとここにJUMPの未来があるんだと思う(予言)。男女の関係性が変化すると共に求められるアイドル像も変わるはず。
なんて、固いことを書いてしまいましたが、JUMPの可能性を知った一曲として記しておこうと思ったのでした。


加藤シゲアキが6人時代のことを語ることについて(NEWS WHITEコンサート)

NEWSへの愛が止まらない。

今回のNEWSコンサートは同担とも入ったし、関西担とも入ったけれど、
同担とは「シゲアキかわいい」で盛り上がった。
しかし、他のグループ担とは意見が全く違って、
中と外の温度差を感じずにはいられなかった。
単純に言えば「シゲアキかわいい」が通じない。
NEWS担なら「シゲアキかわいい」は同意してもらえるだろうけれど、
まだ道は遠いと言わざるを得ない。

今回のコンサートサイズがアリーナで構成していることもあって、
東京ドームではどのように変えてくるのかと期待していたけれど、
思ったよりもアリーナ構成のままだったのは驚きだった。
10周年のコンサートはセンステがメインで、
ドーム修正しやすかったのかもしれない。
あれは、アリーナからドーム仕様に変更していたから、ちょっとショックだった。
他グループの担当から「簡素なセットだね」といわれて
やっぱり悔しいけどその通りで、
私も嵐とかエイトもSMAPも行ったことあるから簡素なのは分かっている。
その中でキューブ型のトロッコを出してバクステ代わりにしたり、
予算の中での彼らのできる限りの工夫が見られたと思う。
そして何よりもパフォーマンスがドームサイズだったと思う
(もっと上を見てとかはちょっと思うけど)。
音源で聞いているものよりも、ステージ上で見せたものの方が良かった。
伝わってくるものがあった。
これができるから、ドームで開催することが許されたんだと思う。
ステージパフォーマンスがドームサイズだったのは、
明らかに6人時代での経験によるもので、
4人体制として再スタートを切っても、
その時代の経験が消える訳ではない。
彼らの体に刻み込まれている。悲しみも喜びも全て。
悲しみは、やはり「去っていった」という経験。
シゲアキが愛言葉の前に挨拶をして4人時代のことを触れたのだけれど、
そのことを他グループ担から「まだ言ってる」と言われることを飲み込むことはできない。


いつまでも6人の頃を引き出されては、
新規のファンがかわいそうというのも分かるけど、
バツイチの男に「前の結婚の記憶を置いて来て」とは言えないと思う。
古参が偉いというつもりはない。
でも、彼らの経験をふまえてほしいと思う。
バツイチなのは認めてあげてほしい。深く理解しろとは言わない。
ただし、悲しむ権利は彼らのある。
彼らの傷がまだ癒えないのであれば、
それをなかったこととして無理強いさせる権利はファンには無い。
そして、多分傷は癒えることは無いのではないだろうか。

TOKIOがグループの解散について、抜けるのは簡単で、
ビビを修復していくのが難しいとトキカケでジャニーズWESTに語っていたけれど、
修復できた傷はおそらく公に語ることは複数回無くていいと思う。
しかし、離別は別だ。
さけてしまった傷は、欠落を抱えたまま、傷口は塞がることは無い。
4年前よりも、おそらく傷は深くなっている。
もう、山下と錦戸が戻ることなんてあり得ないからだ。
離婚後に新生活がお互いが始めてしまい、
もう一緒に住むことは無いだろうという気持ちと似ている。
なぜ離婚という道を歩んでしまったのか、後悔だけは残る。
離婚しないという選択もあたかも知れない。
しかし、過去の自分はそのことに気がつかない。
この後悔は、なぜ6人の時にできなかったのか。
悔いつづけることでしか、前を向くことはできない。
語ることは、傷を見続けること。
その行為が、成長への扉を開く。
そのいばらの道をシゲアキは受け止めたのだと思う。
同じ過ちを繰り返さないために。

愛言葉の挨拶がシゲアキだったのは4人の中で決めたのではないかと思う。
本来であればリーダーの小山だと思うけれど、シゲアキがしゃべった。
手越と増田はおそらくあのような発言はしない。
あの二人は気持ちを言語化しないからだ。
小山はおそらく悲しみに流されてしまう。
だから、シゲアキだったのだろうと思う。
シゲアキは、言語化することで4人の悲しみを背負ったのだと思う。
いろんなことがあったけれど、
いろんなことがあったからこういう男たちになったのであって、
まるっと愛されるようであってほしいな。

一般受けを狙わずに、NEWSが好きな人が時代の主流になるようなムーブメントが起こせたらいいな。
NEWSはこのまま突き進んでほしいと思っている。