鏡に映る自分を見るように

ジャニーズが日本のカウンターカルチャーとして存在することに興味がある大人

田口脱退と説明責任

ベストアーチスト2015が放送された夜、twitterのtime lineには「田口」の文字が並んだ。よもや想像もできなかった脱退宣言と退所宣言が生放送で繰り広げられたからだ。
退所の理由は語らずに、辞めると宣言した行為には多くの人から非難されることとなった。「理由は?」「説明する責任がある」というものがほとんどで、KATーTUNのメンバーからもマスコミからもファンからも説明が求められている。

マスコミに対しての説明は必要はないと言えよう。彼らを満足させる必要なんてどこにもないからだ。問題はメンバーとファンだ。
メンバーは仕事仲間であり、その利益が損なわれるという意味において説明してほしいと願うのは当然だろう。しかし、我々、一般人が仕事を辞めるときにプライベートを事細かく説明するだろうか。本当のことを隠して辞めることは社会的に許されている。誠実だから説明するのか?? いや、違うだろう。説明できない気持ちを抱えたまま辞めることだってある。どれだけ一緒に仕事をしたいと周りが望んでも、本人の気持ちがついていかないこともある。アイドルだって仕事の一つだ。アイドルを辞めたいと願うことはそんなに特殊な事例でもないだろうし、辞めたいと思う気持ちに私は共感する部分がある。なぜ今?という問いに、田口は30になるからと答えている。この30歳になるからという時期も納得の一つである。もし、仕事を辞めて違う仕事の世界で生きるなら、30からなら取り組んでも遅くはない。10代の時にはアイドルになることが全てだったとしても、30歳に近づけば他の選択肢があることを知る。今ならと思ったとしても、不思議ではない。
「なぜ、アイドルを辞めるのか」ということへの説明はかなり難しいだろうと思う。アイドルを魅力的に感じている人たちへの侮辱になりかねない。メンバーやファンに説明できないのはこの点なのではないかと推測される。
魅力的に思っていても、辞めなければならない理由があるのか、魅力的に思えなくなったから辞めたくなったのか。この違いは大きいが、ファンもメンバーも無意識に前者を想定しているように思う。しかし、実際は後者ではないか??田口の優しさから決定的なことを言わないでいるように見える。大切な人たちであるメンバーやファンを傷付けないためにも喋れない。そんな風に見えるのだ。

アイドルとして生きることが肯定的に受け止められるようになったのはここ20年のことであって、そのきっかけとなったのは間違いなくSMAPだろう。光GENJIまでは典型的な王子様であったが、SMAPからは隣のにいちゃんポジションとなり、トイレも行けば恋愛もする、コントもする人になった。今も加藤シゲアキがらじらーで「お尻に割れ目がない」と言ったりするのはアイドルが偶像だった頃を揶揄しているからであって、本人はもちろん本当にそうだとは思っていないし、リスナーも思っていない。しかし、その言葉が本気に信じられていたのがかつてのアイドルであり、だからこそアイドルは低年齢層のものであって、30歳になってまでアイドルでいることは考えられなかった。
SMAP以降は等身大となり、アイドルが多くの人に寄り添う存在となっていく。俳優や歌手であれば、作品が良ければそれで納得するだろう。アイドルはそれだけでなく、人間性が重視され、生き方が問われ、絶えず人目にさらされることとなる。「共に生きる存在」だから、みんなから応援され、愛され、期待され、関心が持たれる。この行為が心地よいとおもう人もいれば、苦痛な人もいるだろう。アイドルは愛されている実感が持てるかもしれないけど、嬉しいことだけではなくて、マスコミに追いかけ回され、付き合っている女についてヤイヤイ言われて、プライベートを批判される。私だったら???多分耐えられないと思う。それだけ個人がさらされることはストレスフルなことであるし、アイドルで得られる喜びと対価かという判断は、人によってまちまちであって絶対的な基準はない。プライベートがさらけ出せる人か、どうか、人からの攻撃的な視線に耐えられる人かどうか、その人の生育歴が関わってくるだろうし、一面的に語ることは許されない。
一生アイドルが今日のスタンダードとなっている今、アイドルを降りる選択肢もあっていいのではないかと思ってる。降りられない片道切符なら、デビューが監獄みたいではないか!! ジャニーズ事務所を辞めるということはアイドルを辞めるということなのだと思う。

ファンとアイドルの関係はビジネスな関係だけではないのだと思う。ファンは「君の未来に幸あれ」と願うものだと思う(少なくとも私はそうだ)。だからこそ、ファンはのめり込み、アイドルに夢を託す。君の未来を願うことを許してもらえる存在。それがアイドルなのかなと思う。
説明責任って、買い手と売り手の関係で言われることだし、行政でのサービスで言われること。それと同じ様な論調でファンが迫るのはどうなのかなって思う。愛ってギブアンドテイクではなくて無償であって…というフレーズは言い古されたものであるけれど、愛する対象でいてくれることはサービスではない「何か」があるのだと思ってる。

田口担ではないから言えることと言われればそれまでかもしれないけれど、いつ自分の担当が辞めるかもしれない、そういう部分は同じだと思ってる。